素顔の医師たち/塩谷郡市医師会会員ブログ

塩谷郡市医師会会員のブログです。

シリーズ 塩谷医療史 −19−

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    『解体新書』〜塩谷地区との意外な接点〜

                             塩谷医療史研究会代表 岡 一雄

     日本の蘭学の隆盛をおこし、さらには近代医学が定着する素地を作った事件は解体新書の発行であろう。解体新書が広く読まれることにより人体解剖(腑わけ)が各地で行われることになる。さらに蘭学も盛んになりオランダ語の翻訳本が数多く出版され、オランダ語を理解する学者や医者が増加するのである。そんな状況の下にシーボルトが来日し、耳学問だけだった蘭方医に生の西洋医学の技術を教えた。それが明治維新後の西洋医学の導入を容易にしたのである。

     そもそも解体新書はドイツ人医師のヨハン・アダム・クルムスの「Anatomische Tabellen」のオランダ語訳である『ターヘルアナトミア』を訳したものである。この翻訳に携わったのが杉田玄白、前野良沢、中川淳庵の三人である。そのきっかけは明和8(1771)年、江戸北郊の小塚原刑場(現在の荒川区南千住)で行われた青茶婆とあだ名を持つ女の刑死体の解剖を見学したことである。三人はその日携帯した『ターヘルアナトミア』の挿絵が実際の解剖体と寸分も違わぬことに感動し、この本を翻訳して世に出すことを決意したのである。

     オランダ語に最も造詣が深かった良沢が大分の中津藩の藩医であったことから、中津藩中屋敷(現在の聖路加病院の近く)に集まり翻訳作業を始める。その作業は困難を極めるが、マネージャー的な立場で意欲的に事業を進めた玄白の努力で3年後の安永3(1774)年『解体新書』が世に出る。

     ところが、不思議なことに翻訳の中心となったはずの良沢の名前は、発行者の中に入っていない。実は、完璧な翻訳を目指した良沢と、不完全でも早く世に出したかった玄白の考えの違いから良沢は自分の名前を入れることに同意しなかったのではないかといわれている。この辺の事情や人間模様については吉村昭の小説『冬の鷹』(新潮文庫)に詳しい。

     さて、この『冬の鷹』にも書かれているが玄白は晩婚で41歳の時に最初の妻(と) (え)を迎えた。登恵は喜連川藩士の安東家の息女で、両親を失い、叔父で家老を勤める生沼氏のもとで育ち、19歳の時に伊与国大洲藩に仕え、29歳で玄白に嫁いだ。性格が温厚、賢明で、来訪者を温かくもてなすなど内助の功を発揮したため玄白が『解体新書』の完成に専念できたと伝えられている。一男五女に恵まれるが、43歳で亡くなる。その後玄白は伊與と再婚する。一般にはあまり知られていないが解体新書の完成に喜連川藩が関係していたのである。

     喜連川藩は五千石の日本一小さな大名と呼ばれる。江戸時代の大名は一万石以上の石高を持つものを差し、一万石未満は旗本である。しかし、喜連川藩は源氏の流れをくむ足利氏であり、同じ源氏の流れで征夷大将軍を名乗る徳川にとっては臣下にすることはできない。そのため、客分として五千石の石高を出している形をとったのである。そのため、喜連川藩は格式では御三家に次ぎ、加賀前田家など十万石以上の大大名と同格とされ、助郷とよばれる土木工事などの諸役や参勤交代も免除されていた。「御所さま」と呼ばれていたことからもその格式の高さは想像できる。

     現在さくら市ミュージアムで行われている「幕末・明治・大正 しおやの医療史」ではターヘルアナトミアの原書であるAnatomische Tabellen(獨協医大所有)や解体新書も展示されており、玄白の妻の登恵についても詳しく取り上げている。一見の価値があるので、ぜひ見学していただきたい。また、戸村先生と私が会期中の日曜日や祝日にボランティアガイドも行うので時間のある方はぜひご来場ください。

         


    連続講座12月4日で最終回

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      12月4日、連続講座は最終回でした。

      今回も大入りで、ドアを半分あけた状態の講演でした。

      地味な演題でしたので心配していましたが、おおぜいの方に来ていただき感謝しています。

      私は最後尾の明けたままのドアのそばで聞いていましたが、奥の方は熱気で暑かったですね。

      岡先生の<幕末掲示機の虎狼痢流行>、中野前ミュージアム館長の<「渡辺清絵日記」に見る明治後期・大正期の医療・衛生>という、とっつきにくい題でしたが、中身は味わい深く、当時の世相がよくわかるお話でした。

       

      前回に引き続き、那須塩原から医学部県人会の同窓生が来てくださいました。しかも今度はご夫妻で。

      今回は、時間がありましたので始まる前に展示をご案内し、板絵などご説明を致しました。

      後ほど頂いたメールをご紹介します。

       

      先日は、ご案内いただきありがとうございました。

      家内も行って良かったと、とても喜び、先生にも感謝しておりました。

      あれだけの企画を成功させて、素晴らしい事だと思います。

      くだらない医師会の講演会では、あんなにたくさんの聴衆は集まりませんよね。

      これから益々寒くなりますので、先生もお体ご自愛ください。

       

      塩谷郡市医師会もいろいろ交流が深まりますね。

                           (戸村)


      大盛況! 連続講座(2)11月27日

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        ブログ『幕末明治大正期の医療』http://blogs.yahoo.co.jp/yabudasu/folder/1686039.html より。
        しおやの地から「醫」をさぐる 連続講座パート2「医療史編纂こぼれ話」
         
        本日(1127日)午後2時から317分まで、岡先生と掛け合いでスライドショー的トークをしてまいりました。
        様々な形で宣伝したおかげか
        (なにしろ講演の準備があるにも関わらす、前日の大学同窓会にまで出席して宣伝にはげみましたから)
        何と110人もの方がお見えになりました60人で満員の研修室は、扉が開け放たれ、私たちももっとスクリーンのすぐ脇まで引き下がり、会場は熱気に満ち溢れました。(おおげさかな)
        少し宣伝しすぎたようです。
        連続「講座」とはいえ、今回の講座は、寄席の「高座」的雰囲気でした。知り合いが多く出席されていましたので、好意的雰囲気が、笑いを増幅してくれたのだろうと思います。
        私の真面目な一面しかご存じない方にまで…。
        娼妓の錦絵では
        「これは岡先生の持ち物ですね」
        「この中身に関しては戸村先生が専門で…」
        「とんでもない。売春防止法が施行されたのは私がまだ子供の頃ですから、知りませんよ」
        ということで、私は必死に威厳を保とうと致しました
         
        講座終了後、前日の同窓会の先生や、歴史専門家、薬学専門家から挨拶され、もう冷や汗ものでした。
        しかし、その後会場で、牧野牧陵さんの実物の前でまた説明をしましたら黒山のような人だかりで、モネの睡蓮ではないのかと錯覚する程でした。
        そこに、喜連川にお住いの、私の同学年の人から
        「中学時代の恩師です」
        と、上品な80歳代後半の紳士を紹介されました。
        「子供の頃から、喜連川神社の板絵は見知っていて、管理も手伝ったことがあるけれど、この厄神はわからなかった。スライドで拡大した映像を見て、新発見だと思った」
        と、褒められました。(前回アップ時よりも、今回の画像の方が細かいところがわかるでしょうか? もとになったデータが今回の方が大きいので)
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        絵の前では、さらに、地元の方から高張提灯の町名の読み方を教えていただき、講師なのに大変知識が増えました。
         
        その後、ミュージアムの事務局の奥で、司会をしてくださった副館長と、三人で充実感に浸りながら、お茶を飲み、樹齢300年の棗の木の大島さんからいただいた差し入れを食べました。
        お互いに健闘をたたえ合いました。
        (戸村)

        企画展「幕末・明治・大正 しおやの医療史」のご案内とご報告

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          今年、当医師会は『幕末・明治・大正期の医療‐塩谷の地から「醫」をさぐる』を発刊しました。

          この書物が出来たのも、10年近くも<さくら市>のご協力があったからです。

          というわけで、1111日から1218日まで、<さくら市ミュージアム>で行われている企画展「幕末・明治・大正 しおやの医療史」にも塩谷郡市医師会が後援いたしております。

          そして、この間行われている三回の連続講座「しおやの地からを探る」にも協力いたしています。

          さくら市への恩返しです。

           

          連続講座・第一回は「宇都宮藩における種痘実施と明治前期の種痘」

          1119日は歴史学者・大嶽浩良講師によるお話でした。

          講座室には50人を超える人が聞いてくださいました。なかなか面白いお話でした。

          肩が凝りそうな硬いお話になりがちな演題でしたが、一般の人たちにも面白くて、なごやかなリラックスした講座でした。

          さすがに、医療史を数十年研究し、他県にまで講演に行かれる歴史学者であると感じ入りました。

           

          さて、第二回となります27日は私(戸村)と岡先生のスライドトークショー(午後2時から)です。

           

          私は、大嶽先生のお話を聞き、「いい加減ではダメだな」と相当プレッシャーを感じています。

          どうなりますか。

           

          第三回は12月4日、岡先生と中野・前ミュージアム館長の「塩谷地区とコレラ・渡辺清絵日記に見る明治・大正期の医療・衛生」です。

          これも、午後2時からです。

           

          ところで、日曜休日は、私と岡先生がほぼ交替で企画展会場に行って、ボランティアで見学者に展示物の説明をしています。

          私の印象では、牧野牧陵(ぼくりょう)さんの板絵が好評です。

          小さいお子様からお年寄りまで、皆さま、驚いてくれます。本の表紙の帯のようになっている部分の現物です。横幅2メートルはあります。

          その板絵に描かれているコレラ妖怪の精密な画像データを、ミュージアムからいただきました。

          鉛筆で写したものをアップします。

           

           

           

          如何でしょうか。

          コレラの厄病妖怪が6匹描かれているうちの一番左端妖怪です。

          御輿からの<ビーム>みたいな、<かめはめは>みたいなものに撃たれて墜落しているところです。

          ぜひ、会場で本物を見て下さい。

           

          会場での説明は、色々な人が来られますので、会話しながら行います。

          20日は研修医の方がご来場され、往時の医療の具体的な中身についてお話が出来ました。

          「面白かった」という評価を受け、大変うれしい思いを致しました。(戸村)


          93歳の方が

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            『幕末・明治・大正期の医療』を希望された知り合いの方に、7月頃に差し上げました。
            その方の家には93歳のお母さんがいまして、月に一度、訪問診療しています。
            診療をしていたら、93歳の患者さんが、
            「3週間で読破した」
            ということでした。
            時代小説みたいな文庫本が枕元にあるのは知っていましたが、私はびっくりしました。
            前回診療した折、家族の方と『幕末-大正期の医療』の話をしているのを聞いて、「読んでみたい」と言ったのだそうです。
            「どうでした?」と聞きますと、難しかったそうですが、6割は理解できたということでした
            しかし、「薬が出てくるところはわからなかった」
            という返事でした。
            どうも、ケアマネージャーさんや、入浴サービスの人が、大変褒めるので、一生懸命読んだらしい、と知り合いの方は言います(その方は一部だけしか読んでいないそうですが)。
            93歳の患者さんは
            「寝て読むと重いので、座って読んだ」
            とおっしゃいました。
            ちょうど生まれたころのお話なので、興味深かったのかもしれません。
             
            書いた甲斐があったというものです。
             
            しかし、薬の箇所は難しいのでしょうかね、やっぱり。

            塩谷病院にあった明治15年の診断書

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              塩谷病院の外科の机の上に昔からあった診断書です。

              7月30日、病院に伺い、いつも患者さんを紹介した時にお世話になっている一瀬先生から頂きました。
              ちなみにお顔を載せてよろしいとの許可を得ています。
              これも医療史を出版したおかげです。
               
               
              診断書
              栃木県平民塩谷郡境林村○番地居住
              農 ○○○吉(男の名前) 当年(年齢は無記載)
              一 体質 粘液質
              一 病名 疝毒
              一 原因 血液積滞痙攣にして衝心により
              一 症候 発する時は脈沈遅脇腹攣急厥逆衝心手足厥冷
                   人事不省なること一日より或いは一日半にして往来寒熱す。
              一 経過 明治12年8月より発病。数年を経て不愈、今日に至る。
              一 処方 当帰四逆湯(たぶん帰)与ふ。
              一 予後 不治の症なれども当今の命期に不罹
              右の通り診断に候也
               明治15年10月23日
              同郡同村在住
                               医 塩野謙二郎
               
              住所は、今の矢板市で、塩谷病院のある所です。
              (ドクターの塩野謙二郎は医療史の478ページに掲載されています。)
              この男の人の年齢は不詳。大人だと思いますが。
              体質を粘液質といっています。体液病理説で西洋で19世紀まで使われていました。
              疝毒は痛みを起こす毒による病気ということでしょうか。
              原因は、血液が鬱滞(うったい)して、痙攣し、心臓を病むという意味かも。
               脚気衝心(かっけしょうしん)という言葉もあり、これは、脚気がひどくなり
               心不全になるということ。
              症状経過は、「発作の時は脈は触れない(血圧がかなり低下?)で、脇腹が痙攣するように痛み、冷えが心臓にあたり(正しい解釈?)、手足はかなり冷たくなり、意識不明となることが1日から1日半位続き、発熱と寒気が交互に襲う」ということらしいです。
              予後は、治らない病気だけれども、生命の危険はない、ということらしいです。
              治療は、当帰四逆湯(とうきしぎゃくとう<当帰・桂枝・芍薬・木通・細辛・甘草・大棗>)を使ったということです。
               
              はたして、この病の実態は何でしょうか??

              100年前の肺結核の注意書

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                日本赤十字社栃木支部が大正4年に配布した「肺結核の注意書」は、いかにその予防に日赤が力を入れていたのかよくわかります。
                本書でも取り上げましたが、詳細に紹介したわけではありませんので、その中身について、ブログで紹介してみたいと思います。
                始めに、本書でも紹介してあるイラストを、そのページの文章と共にアップしてみます。
                 
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                「病家(びょうか)における病毒、その他器物の消毒法は、如何にしてするか」
                という題名のところです。
                 
                《肺結核の予防には、痰壺の処置(しまつ)が一番大切である》
                《必ず消毒液を入れた一定の痰壺に吐き、充分消毒のできたうえでこれをお捨てなさい》
                《痰壺は瀬戸物で、大きさは五寸四方位、円筒形で、蓋のついているものが宜しいのです》
                《底には洗濯曹達(ソーダ)》を敷いておくのだそうです。
                それで、痰がたまったら、その厚みだけさらに洗濯ソーダを敷き詰めるように、とのことです。
                《それからグラグラ沸騰した熱湯を、その痰壺の中へ八分目ほど注ぎいれ、自然にさめるまでそのままにしておけば、結核菌は美事(みごと)に殺されて仕舞ひ》と書いてあります。
                 
                100年前の真面目な日赤の啓蒙書です。

                100年前の広告

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                  この記事は下のブログの5月22日の一部訂正です。
                  http://blogs.yahoo.co.jp/yabudasu

                  本書の423ページに載せた広告の写真はモノクロですが、ここではカラーで紹介します。
                  北原白秋が
                  そなたの首は骨牌(トランプ)の
                  赤いヂヤツクの帽子かな
                  とうたったヂギタリスの製剤のカラー広告です。大正5410日号の「日本内科医学会雑誌」に挟まれた広告です。雑誌の紙は黄色くなっていて、ぼろぼろになりそうですが、挟まれていた広告はまだ大丈夫です。
                   強心薬ヂギフオリン「チバ」の、この広告の裏面を紹介します。本編では全部を紹介していないので、書き写しておきます。
                   
                  ヂギフオリン「チバ」の特長
                  一、作用確実にして迅速に奏功す
                  一、永く貯ふるも効力不変・力価常に均等
                  一、ヂギタリス葉の総有力作用を現はす。
                  一、蓄積作用及嫌ふべき副作用を生起せず
                  一、完全なる注射(皮下・筋肉・静脈)療法を行ひ得
                  内服薬として従来のヂギタリス剤が有効力を変じ易き溶液なるに反し、本品は不変の有効ギリコシード類を乳糖加粉末及錠剤の形態に精製せり。乳糖加末は其儘(そのまま)他の散剤に配合し、或は溶解して水剤に使用す。またヂギフオルミン注射薬の完全なるは他の類似製剤に其比を見ず。
                   
                  大正初期に発刊された「薬物学」(森島庫太・南江堂)のヂギタリスの項には、今日知られているような薬効が書かれてあり、ヂギタリス葉は1年以上貯蔵してはいけない、などとあり、《永く貯ふるも効力不変》という広告文に繋がるのだろうと思います。
                  また、《ヂギタリス類の多数は之を皮下注射すれば疼痛硬結を来たし、次いで白血球を誘致し、化膿を発す》という記述もあります。
                  ヂギフォルミン(薬物学では小さいォ)はヂギタリス葉製剤なのに、サポニンやカリウムを含有していないので、局所刺激が微弱なので、皮下注射に適する、とも書かれています。
                  《効力は均等にして、他の売品と異なり、製造者の告白と一致すと云う》
                   
                   なかなか良い薬であったらしいのですが、蓄積作用や、嫌うべき副作用が無い、というのは誇大広告だと思います。
                  定価 錠剤25錠入150銭 注射薬5本入150銭 乳糖加末10g入495

                  (戸村)
                   

                  幕末・明治・大正期の医療

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                    幕末・明治・大正期の医療 塩谷の地から「醫(い)」をさぐる
                    は、お手元に届きましたでしょうか?

                    せっかく予算を使った本ですので、読んでいただかなくては無駄遣いになってしまいます。
                    ぜひ、読んでください。
                    とはいえ、ページを開く勇気のない方へは、ブログで内容や関連情報をアップいたしております。
                    無料のヤフーブログですが、ふと気づいたら、こちらへもコピーすれば良いということですね。

                    今夜は遅いので、明日にでもいくつかをこちらにもアップしましょう。

                    ちなみに、ヤフーブログはこちら。
                    http://blogs.yahoo.co.jp/yabudasu


                    戸村光宏

                    シリーズ 塩谷医療史 −18−

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                      塩谷郡医会会長 黒須惟精

                                           塩谷医療史研究会代表 岡 一雄

                       医家の黒須といえば、塩谷地区では黒須病院の黒須家のことをさす。塩谷地区では黒須の名前の医師は黒須家以外には存在しないと考えられていた。しかし、明治時代の中頃、塩谷地区に黒須惟精(これあき)という医師がいて、しかも医会の会長を務めていたのである。明治に入って初めてできた医師の組織が開業医会である。明治16年の頃である。そして明治26年、県令により栃木県医会と各郡市医会が発足するが、塩谷郡医師会の初代会長が誰だったのか記録は残っていない。この時代の会長名の記録としては唯一、明治2967日喜連川の大草仲次郎の弔詞に「塩谷郡医会会長 黒須惟精」の名前が残っているだけである。しかし、これ以外に黒須が塩谷地区にいた形跡は何ひとつ見つかっていないのである。
                       黒須ほど謎に満ちた人物はいない。例えば、ある医師の名前が名簿にあるが、その人物が何をしてどんな人物かわからない時、それは記録や手がかりが残っていないだけだと納得できる。しかし、黒須は塩谷郡以外の場所に足跡を残しているのである。
                       『宇都宮医師会史(昭和61年発行)』によると黒須惟精は県立宇都宮病院の二代目院長であった。県立宇都宮病院(前身は共義病院)は明治557日、宇都宮県が音頭をとり有志の寄付によって設立された、栃木県で最初の病院である。初代院長が志賀天眠(宇和島藩医)、二代目が黒須惟精、三代目が安部文安(後の宇都宮医師会長)、四代目が医学士の石黒宇五治、五代目が大橋和太郎(栃木県連合医会設立の立役者)と歴代院長は錚々たる顔ぶれである。また、明治7年には栃木市にあった県立栃木病院の院長に就任したという公文書も残されている。(注:明治6年に栃木県と宇都宮県が合併して栃木県となる)
                       黒須は明治9年に全国で統一されて初めて与えられた医師免状の番号が全国で267番であった。これは栃木県で一番早い番号である。この時の免状は医師試験(東京、京都、大阪の3か所で実施)に合格するか、大学(東京大学のみ)を卒業するか、医師として高い地位の公職に就いているかのいずれかの者のみに与えられたのである。
                       ちなみにその次の番号が277番安部文安(宇都宮病院長)、280番匂坂選(宇都宮病院副院長)、281番礒良節(黒羽藩医磯良三の長男で栃木医学校講師)、282番大久保元亨(宇都宮藩医で宇都宮病院医員、後に開業)、327番圓山庸、353番阿久津資生(大田原出身で順天堂医事研究会の代表)となっている。これだけ華々しい経歴を持つ人物が宇都宮病院長あるいは栃木病院長をいつ辞めて、どこに開業したかがわかっていないのである。
                       明治22年刊「日本医籍」によると黒須の住所は烏山町となっているため、烏山町出身だったと考えられる。『烏山町史』によると烏山藩には寛政41792)年の時点で「黒須玄洞」なる20人扶持程度の藩医がいた。烏山では黒須という名字も珍しくなく、藩医の黒須家出身だったのかもしれない。この時代の烏山藩は蘭学が盛んで、「高田良道」という北関東では洋学医術で有名な藩医がいて杉田玄白や大槻玄沢と交流があった。
                       黒須の名前は明治31年刊「帝国医籍宝鑑」には見出すことができない。黒須は明治20年代に塩谷地区のどこかで開業し、その輝かしい経歴から医会の会長となったが、明治30年代に死去し、後継者もいなかったものと推測している。
                       
                       県立宇都宮病院
                                宇都宮医師会史より
                       



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